2.「Alliance2002Jの活動経過と活動概要

 Allianceは1998年3月に発足した。初代代表のA氏が「酒場の与太話の中で、新潟で草 の根のサッカーの活動をやりなさいよ」と「焚き付けられた」のが発端である。当時から W杯を意識しつつも、当面はアルビレックス(当時JFL)の応援サポーターグループと して活動を開始した。しかし、A氏としてはあくまでも「単純に(応援)サポーターをや りたいと思って始めたんじゃ」なかった。

 その後、99年3月アルビレックスのJ2昇格を契機に、試合運営のボランティアグルー プ「SPIRIT OF NIIGATA」(以下、SON)を設立し、応援サポーターグループは「ウル トラ新潟」(以下、UNI)と名称を変更した。

 同時に、2つの組織の連合体をAllianceと称して、ヘッドクオーター(以下、HQ)と 呼ばれる「直轄事業をやりながらボランティアグループ、サポーターグループをコーディ ネートする部門」(HPより)を発足させた。

 続いて、99年4月よりオープンセミナー「サロン2002inにいがた」を開催するようにな り、8月には気軽にサッカー(フットサル)を楽しむ場所として「もくはちクラブ」(以下、 「もくはち」)を設立した。

 したがって、Allianceは全体を統括するHQのもとに、2つの組織と2つの恒常的企画 を持つ連合件として組織されている。以下、各組織・企画の活動内容について簡単に整理 しておく。

(1)「SPIRIT OF NIIGATA」(SON)
 日常的にはアルビレックスの統括下に入り、他のボランティアとともにアルビレックス のホームゲームの運営補助を行っている。コンフェデレーションズ杯においても、のべ10名 ほどがJAWOCボランティアの「リーダー」として活躍した。これらの活動は全て、W 杯本番での管理区域内ボランティアへの登録を目指して行われてきたといってよい。

 SONとしてのメンバーは流動的だが約40名であり、1試合あたりの活動人数はこのう ち10名程度となっている。

 また、ボランティアどうしの交流活動も行っており、これまでに浦和(2000年6月)、仙 台(2001年10月)、あるいは「ボランティア・シンポジウムinさいたま」(2001年3月一 代表者のみ)への参加実績がある。

(2)「ウルトラ新潟」(UNI)
 このUNIが本来の応援サポーターグループである。新潟でのコンフェデレーションズ 杯においては、日本代表サポーターの中心として「数千人の青い波を起こした」ような「仕 切り」をやりきったと自負している(UNI代表B氏のコメント)。

 メンバーの中心部分は約10名ほどとなっている。

(3)「もくはちクラブ」(「もくはち」)および「もくはちマンディ」
「サッカーしたい!、ボール蹴りたい!!、でもチームに入っていない・経験ない・友 達いない・面倒なこといや、そんなあなたに2つのコース!!」というのが「もくはち」 および「ビギナーズクラブ・もくはちマンディ」のチラシに書かれたコピーであり、この 企画の趣旨を良く表わしている。

 「もくはち」は木曜日の夜8〜9時アルビレックスのサッカーコートで行われていて、1 人で行っても場所代の500円を支払えば、そこに集まった人々とフットサルが楽しめると いう企画である。HPによると「雑誌『サッカー批評』で浜村真也が紹介しているアイデ ア」で「東京で既に実績がある試み」である。1年間でのべ2,460人の参加、1回あたり最 高で102名、平均すると60名程度の参加者数となっている。

 また、Allianceにとって「もくはち」は、SONと並んでHQの担い手を育てる場所に なっていることと、「予想外」ではあったが、何と言ってもAlliance全体の活動資金を生 み出す企画になっている。

 「もくはち」が定着したことを受けて、2001年8月末からは「もくはちマンディ」がス タートした。対象を「初心者・女性・子供・親子・OB・OG」(チラシより)として、月 曜日の午後8時から前半1時間は実技指導、後半1時間をフットサルというかたちにして いる。

(4)「サロン2002inにいがた」
 「『文化としてのサッカー』について意見交換しようというレクチャー&ディスカッショ ンの会合」(HPより)として行われており、これも東京で活動する「サロン2002」や「神 田サッカーナイト」をモデルにしている.

 テーマの詳細な紹介は省くが、サッカー関連だけではなく、「スポーツボランティアの理 想と現実」、「新潟におけるスポーツビジネス」なども取り上げられていて、参加者は最高 で42名、概ね毎回10〜20名の範囲である。

 2001年1月までほぼ月1回、21回開催されてきたが、A氏によると「毎月毎月ゲストを 手配するという負担」が厳しくなっており、それ以降は不定期開催というかたちで1回開 催されるに留まっている。

(5)ヘッドクオーター(HQ)
 上記全ての組織と恒常的企画を統括する組織である。発足当初は4名からなり、初代代 表のA氏と2つの組織の代表(1名広報兼任)、および「もくはち」担当からなっていた。 2001年10月以降、A氏と他1名が転勤のため新潟を離れたことを契機に、代表を交代する とともにメンバーの追加をはかり11名になっている(転勤した2名も名目上HQに留まっ ている)。

 運営方法はA氏によると「トップダウンと権限委譲がAllianceの特徴」ということで、 A氏が代表の頃には不定期に会議を行いつつも、基本的に電話および電子メールと AllianceHP内の「掲示板」でのコミュニケーションが主となっていた。したがって、A 氏のイニシアチブが強い組織として運営されていたが、A氏転勤後はHQのところで協調 をとりつつ、それぞれの担当者が個別の判断で運営していく性格が強くなってきていると のことである。

 Allianceという組織形態の特色が最も表れているのが活動資金調達で、基本的に「もく はち」の参加費で上げた利益を、その他の組織・企画に使うという形態をとっている。年 間の予算規模はおよそ100万円となっている。

 上記の他に特筆すべき直轄事業として、コンフェデレーションズ杯の機会に、「万代ファ ンビレッジ」と銘打った観戦者対応の総合企画(クラブ・イベント、フットサル大会、サ ッカー映画上映)を主催し、約400名の参加を得た。当初はミニサッカー大会、簡易宿泊 所、クローズド・サーキットも企画したがそれぞれ個別の事情で実現できなかった。しか し、コンフェデレーションズ杯の会場で総合的なイベントが行われたのは新潟だけであり、 課題を多く残したが、日本サポーター協会が呼びかけている「ファンビレッジ構想」の実 現に向けて貴重な経験を残したと言える。


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