新春サッカーサロン報告書  
  . 〜こんなにスゴい人が新潟にいるんです 3〜  
  【NAMARA】クールな印象は昔からですか?
【萩本氏】クールなようですけど、熱いところもあります。逆にもっとクールかなと思っていたけどそうでもなかった。(メディアでは)試合前や試合中は、「大きな戦いをする」というような表情しか映さないから、一方向からしか見ていただけていないかも知れませんね。
【NAMARA】運命的な出会いをされたわけですが、それも萩本さんのサッカーへの熱い想いがあるからこそですよね?
【萩本氏】運命というより、偶然はあったにしても「お互いにサッカーが好きだから辿り着いた」という感じですね。
【NAMARA】ありとあらゆる試合を追いかけるほどの情熱の源は何ですか?
【萩本氏】子供の頃は色々なものに夢中になったけれど、サッカーに代わるものはなかった――というか、嫌いになれなかったんですよね。素晴らしい試合を観た時の悦び。その場にいられること自体が嬉しかった。何はともあれサッカー場に行くことが、いろんなものを与えてくれましたね。
【NAMARA】2002年W杯時は、レフェリーのトレーナーもされたんですよね?
【萩本氏】はい、日本組織委員会からの依頼で――。日本開催の試合のために、日本に滞在してレフェリングをする人達のコンディションを整える仕事をしました。全国各地で開催されるスタジアムにレフェリーは送り込まれるわけですが、ベースキャンプは木更津市にあったんです。試合後はそこに戻って、走ったり泳いだりというトレーニングをするんですが、それを横浜Fマリノスの池田フィジカルコーチが診ていました。
で、私は新潟での3試合の審判をされる方たちのケアをしました。
【NAMARA】国際審判員は、いい筋肉をされていましたか?
【萩本氏】日本での初戦となった新潟でのアイルランド戦の主審をされた上川さんは、元フジタ工業の選手だけあって素晴らしい筋肉をされていますよ。上川さんとはまた縁があって、2001年にバンコクで行なわれたタイ×レバノンのW杯1次予選を観に行ったんですが、その試合の主審が上川さんだったんです。試合前には、少し話をすることができました。その試合では、「やはり素晴らしいレフェリングだな」、と思っていたんです。その後2002年の年明けに私は、現在の派遣元でもある代々木の治療院で仕事をしていたのですが、そこに上川さんが来られてマッサージさせてもらって、その半年後にまたビッグスワンで一緒に仕事をさせてもらったんです。
【NAMARA】萩本さんの行動力が人と繋がっていくんですよね。
【萩本氏】200カ国近い国の人々がサッカーを楽しんでいて、いろんな所へ行ってサッカーを通しての出会いがある。プレーするわけでなく第三者として見ていても背筋が寒くなったりも、感動したりすることもあります。皆さんもアルビのサポーターとしていろんな所へ行っているから、沢山の出会いがあると思います。
私は、実は選手だけでなくレフェリーも好きなんですよ。世界トップクラスのレフェリーともなると実に見事なレフェリングをされるのはもちろんのこと、仕草ひとつをとっても美しいんです。
【NAMARA】たくさんの国でたくさんの試合を観ている萩本さんだから、そういった比較ができるんですね。
萩本さんは昔、サッカーを観てトレーナーになりたいと思われたわけですが、今は逆に見られている立場なわけです。マッサーになりたいと思う人が出てくるかもしれませんね。
【萩本氏】そうですね。下関まで車で行こうと思う人は少ないかもしれませんが。
憧れていただけているのだとすれば、それは有り難いことですね。「こういう大変な仕事はしたくはないな」とは思って欲しくはないですね。私達は選手がいいプレーができるよう、受傷の際には1秒でも早く駆けつけるなど、少しでも早くいい状態になって欲しいと思って一生懸命やっているだけなんですけどね。
【NAMARA】鈴木健太郎選手が昨季、インタビューで「サポーターはもちろん、アルビの選手の裏側で働いてくれている人たちのためにも、僕は一生懸命プレーします」と言ってたのを聞いたことがありますが、覚えていますか?
【萩本氏】いいえ。たぶん、その時はロッカールームの後片付けしていたんだと思います。
【NAMARA】選手にそんなふうに言ってもらえたら嬉しいですよね?
【萩本氏】そうですね。勝ち点を獲ったり、優勝して昇格したりということはもちろん喜ばしいのですが、選手と接していて日々の練習やキャンプなどで、怪我から回復してまた頑張ってくれる――そんなことが私達にとっては嬉しいのですよ。
【NAMARA】そんな中での昇格はすごく嬉しかったでしょう!
【萩本氏】アルビレオ時代から支えてこられた人たちの感激には及ばないかもしれないけれど、やはり選手達が喜んでくれていたのが一番嬉しかったですね。
【NAMARA】優勝が決まった時の、あの瞬間はどこにいたんですか?
【萩本氏】実は山口選手の隣にいたんですよ!
【NAMARA】一番おいしい所じゃないですか!
【萩本氏】はい。最後に撮った全員の写真の時も偶然なんですが、山口選手の隣だったんです!
【NAMARA】へえ!!  じゃあ、あの時の写真を見直してみると、マッサーがいるわけですね、山口選手の隣に!
ちょっと、「おいしいとこ狙いすぎだぞ!」って非難轟々なんですね。
それだけサッカーに詳しかったら、アルビについては以前から詳しかったんですか?
【萩本氏】以前、サッカーマガジンが月1回発行の頃、長岡出身の牛木素吉郎・読売新聞記者がコラムを書いていて、その中で紹介されていた「一からクラブを作って、押し上げてゆこう」という新潟の考え自体が新鮮で、それで当時のアルビレオを中心とした新潟のサッカー事情について注目していたのです。94年に米国へ少年サッカーの遠征で行った時の中学生男子チームの監督がバルコム(当時・アルビレオ新潟監督)だったということが、身近に感じさせてくれていたのかも知れません。彼がいたチームに来ることになったのも、不思議な縁ですね。
【NAMARA】『アルビカルトクイズ』とかがあったら、答えられる自信はありますか?
【萩本氏】それは皆さんの方が詳しいんじゃないですか?
【NAMARA】カルトキングの秘訣はやはり記憶力ですよね? 
先程からすごい記憶力ですもんね。
【萩本氏】好きだからですよ。
【NAMARA】試合の時にトレーナーは、ゲームを全部観られないでんでしょ?
【萩本氏】そうですね。だから後で、テレビで得点シーンを見たりします。アウェーの時は遠征に行かない選手たちのケアをするのが僕の担当なので、そわそわしています。
アウェーの時の方が、テレビ中継でじっくりと試合を観ることができますね。
【NAMARA】去年は、代表戦などを観る機会が減ったんじゃないですか?
【萩本氏】J2ですとスケジュールが詰まっていて、とても忙しかったせいもありますね。
【NAMARA】今年はW杯とオリンピック予選のほか、アジアカップや女子のオリンピック予選もありますね。注目は?
【萩本氏】W杯予選はリーグ戦なので「その最終結果は公平なものになる」はずでしょう。でも、そうではあっても、どの国にとっても“初戦は怖い”んです。そんな中、初戦の持つ重要性は50%くらいになるんじゃないですか。
【NAMARA】オリンピックはどうですか? 三田選手が代表に選ばれていますけど。去年はすごくハードでしたよね?
【萩本氏】彼は2002年シーズン後のオフがすごく短かったんですが、厳しいスケジュールの中、弱音を吐くことなくやっていましたね。
【NAMARA】「2004年アルビレックスは、ここがおもしろいぞ!」というのは何ですかね?
【萩本氏】J1は当然、あらゆる面でレベルが凄く高くなるわけです。監督がよく「J1レベルの選手」という言い方をしますけれど、その中でアルビの選手達もやっていかなければならないわけで、なかなか得点や勝ち点を重ねられない時もあるとは思います。
でも、それは1つ上のステージでこそ経験できることであって、「J2の方がいっぱい勝てて楽しかった」というのではなく、J1だからこそ味わえる厳しさ、その中で重ねていく得点や勝ち点の重さや価値を感じてもらいたいですね。
目先の勝ち点や得失点で一喜一憂するのではなく、(30試合の積み重ねが結果となる)リーグ戦であるということを常に頭に入れて、長い目で観て楽しんで欲しいですね。15チームのいろんなスター選手達がビッグスワンにやっても来ます。苦しいこともあるかとは思いますが、楽しいこともあるはずです。視野が広がるでしょうし、楽しんで応援して欲しいですね!! オールスターゲームも新潟でやりますしね!

(以上)
 
  楽しいトークはアッという間に終わり、萩本さんが会場の皆さんのために持参されたプレゼントの抽選会が行われました。
プレゼントは、『「Bombonera(12)」ステッカー』『月刊誌「CALCiO2002」携帯ネックストラップ』
思いもよらぬプレゼントにみんな大興奮! ジャンケンによる抽選会の熱気で、会場が炎上するかと思うくらいでした!!

萩本さん、本当にありがとうございました。
今シーズンも、期待しています。
 
 
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